幼年期 【鉄腕アトム、高校三年生など】
小学校に上がる前にさかのぼる話で恐縮ですが、その頃両親が共働きだったために夜遅くまで一人で留守番をしていた少年の親友は、当時まだ普及率もほどほどの白黒テレビでした。鍵っ子の幼稚園児には絵を描く事も寂しさを紛らわす手法として身につけた技術でしたが、彼にとって最も恐ろしい夜の闇から身を守る術は歌う事。夕方遊び終えて帰り着いたらすぐに8畳の居間にあるテレビの電源を入れ、その瞬間から番組の主題歌はおろかCMに至まで放送の全てはもう頭に完璧に入っており、毎日共に歌う事が日課でした。「ラララ空を超えて〜♪」
くろけん小学生両親が経営していたスーパーのライトバンの助手席にちょこんと座り、当時の流行歌を覚えて次々歌う少年にはカーラジオというあだ名が命名されました。その後スーパーが倒産し夜逃げをするまで。「赤い夕日が〜♪」
東京に出てきたのは小学校4年になる年で、それまでは田舎の学校で正式な音楽教育と云うものを受けた事もなく、自分自身歌う事が好きで家族には褒められていたもののあくまでもそれは家族の間だけでした。東京でたまたま入った小学校が効率なのに珍しく音楽教育に力を入れている学校で、東京オリンピックの開会式に少年鼓笛隊として出場したそうで、ブラスバンドと合唱団が最も力のあるクラブ活動でした。
少年期 【少年合唱団、ブラスバンド、NHK人形劇】
転校したての少年くろけんは大都会の音楽教師に見初められ、あれよあれよと云う間に新宿区少年少女合唱団に入団手続きをすることになり、間もなくボーイソプラノでソロをとりました。ここはちょっと自慢ですが、田舎の学校や家庭ではとりたてて評価されていなかった歌の才能が、初めて公式に認められた瞬間です。本来はオーディションを受けて合格したものだけが入れるその合唱団に、無試験で入ったのですからすごいでしょ?今思えばそういう事だったのですが、当時は自分に何が起こっているのかよくわかっておらず、言われるままに毎週日曜日にバスに乗って練習場に通う事になりました。ある公会堂でソロをとったのは「大きなのっぽの〜♪」でした。
皆さんはご存じないかもしれませんがNHKの夕方の人形劇で『ネコジャラ市の11人』というミュージカルがありました。この時間帯の有名なものは古くは『ひょっこりひょうたん島』その語『里見八犬伝』などがありますが、地味に放送していた僕にとっての名作です。この人形劇のすごいところは毎日劇中の挿入歌が2〜3曲の新曲が歌われることです。